PROFILE

こんにちは、福川剛史です。

肩書きは、特に決めていないです。

ブログでは、Webノウハウ、ライティング、カフェ、考えなど発信しています。

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今やっていること

①HP制作・企画、webメディアの運営提案・サポート

個人から企業までのHP制作をグループで請け負っています。
来るもの拒まずで内容にもよりますが、ある程度対応できます。

最近は、直接ご紹介いただきご相談を受けて、実際にスタートすることが多いです。

細かい詳細などは、お問い合わせください。

②オンラインサロン運営

2017年1月より、独立・起業を目指している方を対象としたオンラインサロン「大人の楽屋」をスタートしました。

メンバー専用サイトを中心に、自ら学び、チャットを活用したヒヤリングのもと進めています。

オンラインのみに留まらず定期的な勉強会を開催し、リアルでの交流も大切にしています。

今後、多角的なコミュニティ運営を計画して、一方的な提案ではなく「体験」を意識したフリーランスが働きやすい場を提供していけたらと思っています。

③地域貢献活動

中野区にて月に1度、中野好き100人が集まるコミュニティーを目指す「アサナカ」を主催しています。

中野とは、古くも歴史あり、これからのカルチャーの地として見逃せない地域。

中野をより知ってもらうために、中野で活躍している方をピックアップしてPRの場を設けたり、地図を広げて中野について深く知ってもらったりという活動をしています。

イベント情報はこちら
ブログでも詳しく紹介

福川剛史の経歴

福川剛史は、こんな経歴を得て今があります。
少し長いですが、お付き合いください^^

第1章:忍者の里でスクスクと育つ

1986年10月7日、水とお米と野菜に恵まれたド田舎で、ぶくぶく太って生まれる。

親は共働きで、幼稚園にはおばあちゃんと歩いて通っていた。

人見知りもせずに近所の子達と遊んだりケンカしたりスネたりしていた。

子供ながらに好きな子が出来ても、表現下手さから上手く会話ができず、少し壁を作っていたのを覚えている。今思えば、まわりの友達と同じように話せば良いだけやん。って思うんだけど、不器用だったんでしょうね。

家では、野菜やお米を作っていたので、毎日美味しい料理が出てくる。たまに変な味がする料理があったけど、名前は知らない。

とにかく、昔からよく食べていたので、スクスクと育ち、今では身長が186cmに!笑

生まれたては、横に大きかったのですが、縦に伸びていったんですねー。

第2章:副キャプテンがお気に入りの中学・高校

小学、中学校は、全く同じメンバーでみんな友達でした。学ランと校舎が変わったくらいかな。

部活は軟式テニス部に入り、持ち前の身長で前衛をポジショニング。

壁になっていました。

運動神経は、そこそこ良かったです。テニス部をしながら少しだけ陸上をしたのですが、これがハマってしまい、走高跳びで校内タイ記録を取りました。勢いってすごいですね。今は記録を塗り替えられているかもしれませんが、当時は、ちょっとした自慢でした。

テニスは、弱小でしたので、そこそこ出来たらスグに目立ちました。

気づけば、運動神経と身長だけで、副キャプテン

高校では、家から学校が遠かったので、1年生の半分は帰宅部という名の、暇人をしていました。

あまりにもヒマだったので、いろんな人に「ヒマだ!暇だ!ひまだ!」と言っていたら、スカウトに合う。

「バレー部に入らないか?」

バレーボールというと、体育館の中で地味にボールを追いかけてジャンプするやつでしょ?って思っていました。

とりあえず、どんな感じでやっているのか見学に行ってみました。

足を踏み入れたら最後、ハマってしまいました。

ただ見学のつもりが、そのまま入部して4ヶ月後にはルールも知らないまま試合に出るというスピード。

ま、人数が少なかったというのもあったのですが、、

とはいえ、僕の高校生活の8割はバレーボールでした。

寝坊しつつも朝練して、授業中は漫画を読んで、寝て、放課後の部活のために体力を温存。

部活して帰ったら21時、テレビ見て寝る。起きて朝練へ行く、、みたいな。

とにかく、楽しかったんでしょうね。気づけば、副キャプテン。

僕よりもバレー歴が長い人もいたのですが、運動神経と身長で選ばれるっていう。

今でも、バレーボールは大好きです。

受験

高校は進学校だったので、一応は大学へ行こうと漠然と考えていました。

将来、特に何かやりたいこととかなかったので、進路は消去法で決めました。理系だから理工学部かな。機械とか情報とか化学とかオタクっぽいから嫌だな、よし建築だ!建物見るの好きだし!

そんな感じで決めた建築が、のちの就職でどうなるか、その時は想像もしていませんでした。。

三重県の人は、地元に残るか、大阪行くか愛知へ行くか、3択になることが多いのですが、大阪志望者の比率が多かったので、あえて愛知県の大学を受けました。

第一志望とは違いましたが、受かったので、晴れて愛知へ。

実家にいるよりも、外に出たかった。なぜなら、一人暮らしがしたかったから。

第3章:一人暮らしでバイトに明け暮れる大学時代

大学に入ってからは、部活に入るか、バイトにざんまいするか、2つに1つ。

手始めに、バレーボール部を見学しに行きました。すると、同じ建築学部の沖縄出身の人がいました。

「あ、知っている人がいる。よし入ろう。笑」

部の全体の実力としては、決して弱くもなく、強くもなく特徴のないチームだなというのが第一印象。

いきなり4年の引退試合に出させてもらったり、良い人が多かったので、すごく楽しかったんだけど、中途半端熱血バレーのような感じがあって、完全に打ち込めるほど、熱くなれなかったなというのを覚えている。

多分、高校でやりきった感があったんでしょうね。夏休みを利用して車の免許を取りに2週間くらい部活を休んだんですが、戻った時、言葉では言い表せない違和感があって、退部してしまいました。

部員のみんなは本当に仲良しで、すごく楽しかったんです。もしこの文章を読んでいたら、また一緒にバレーボールをしたいなって思っているので誘ってください。どこまでも飛んでいきます。

とにかくバイト、飲み

それで、ここからですよ、大学生活!!!

アルバイトをスタートしたのですが、そのバイト先がなかなか面白い状態になっていた。

家から歩いて5分の場所にある飲食店の調理場に、アルバイトとして入る。そこには、同じ学校、同じ学部学科、同じ年齢の人がゾロゾロいる。

学校で顔合わせて、アルバイトでも同じ仲間。。。みんな友達。

卒業間際には、その飲食店には、同じ学科の同い年が最大7人いるという状態で、日曜日のドピークでも、建築学科で調理場を回せるという素敵な感じになっていた。

もちろん遊ぶ時も、飲みに行くのも同じメンバー、麻雀、ドライブ、朝までオールを週に何連続したかわからないほど!

名言「目から血が出るほど遊ぶのが学生や!」をモットーにして散々、飲んで遊んで、働いた。

いろいろな武勇伝や、ドラマが繰り広げた気がするが、そんなこと書いていたら、キリがない。

就職活動

3年の後半になるにつれ、就活や進路など考えるように、4年になって卒業研究しながら、今後どうする?という話。

僕自身は、会社にはあまり魅力を感じていなかった。かといって自分で独立するほど勇気もなく。何より「やりたいことがない」という感じで彷徨っていた。

就職というキーワードが出た途端に、今までバカ遊びしていたのが、昔のように思えて、いつまでも子供じゃダメなんだと考うように。

何社か受けて、最終面接まで行ったり、内定をもらった会社もあったけど、蹴ってしまった。

大手企業の歯車になるつもりは、初めからなかった。かといって小さい会社で苦労するのも嫌だった。

それだったら、中堅あたりの会社を狙って、自分のやりたいことで仕事をしていきたい。そんな思いがありました。

気づけば、4年の2月、もうすぐ卒業だ。

インターネットでいろいろ調べたが、ときめく会社がなく、試しに就職斡旋センターみたいなのが学内にあったので相談。

その時にね、企業のコンサルタントの人が、良い人材がいないかということで、就職斡旋センターに来ていて、偶然いろいろ話をしていました。その時に、紹介されたのが、僕が新卒で入った会社になる。

その会社というのは、少し変わっていて、一人ひとりが社長のような感じ働ける建築系の会社。

仕事内容は、大手ゼネコンがメインの請負先だったので、規模は大きいものから小さいものまで扱っていた。

自分でやりたいようにしたかったので、即決で決める。次の週に面接に行って、15分しゃべって、手応えアリアリの1発内定!

あ、卒業旅行は2回行きました。

1回目は、男3人ドライブ九州1周7日の旅。
2回目は、沖縄ですね。

両方、一生の思い出ですね^^

第4章:会社員時代

僕の会社員経験は、新卒からの3年半です。

会社を決めるのが遅かったので、5月から入社。

建築学科だったので、建築系の会社。外壁補修のメインの会社で、マンション大規模修繕工事や、ビルのタイル剥落防止、外壁塗装塗り替え、屋上防水張り替え、止水調査などなどを協力会社(職人さん)と一緒にこなしていた。

わかりやすく言うと、建物のお医者さん。建物は年数が経つと劣化してきます。そこで、登場するのが僕らのような専門家。

仕事は全員にノルマがあって、ノルマが達成されていれば、自由という社風。やることやれば、特に縛られないのです。自分で仕事を取ってきて、やりたい物件をやるという状態。とはいえ、自分にお客さんがつけば、そこからバンバン仕事を振られるので、それをこなす。

2人1組で仕事を割り振りしながらやっていて、業務的なことは全てできるようになって当たり前、覚えることはたくさんあったがその反面、楽しいことでもあった。初めは自分で仕事は取れないので、上司と二人三脚で現場を回していた。

毎日早朝に起きて、家に帰るのは22時を過ぎ、体力仕事と事務仕事の両方で、常に疲労を抱えていた。仕事は、嫌いではなかったのですが、少しずつ「これで良いのか」と疑問を抱き始める。

上司の生活スタイルや家族サービスできないでいる姿を見て、将来自分もこのようになるのかと思うと、それは、魅力的な将来像ではなかった。

休みは、月に1回2回という少なさ。。。友達からの飲み会や合コン、遊びの誘いは、全て断って仕事ばかりしていた。気まぐれに行くスーパー銭湯が唯一の息抜きでした。

2級建築士

そんな中、国家資格である二級建築士を受けました。実績に箔をつけようと思ったんですね。

22時に家に帰り、すぐ風呂に入り、夜2時まで近所のガストで毎日勉強していました。気合の6時半起き。寝不足で生気がなかったこともあります。

まぁ僕は、真面目に勉強するタイプでもないので、その当時ハマっていたPSPのモンスターハンター2をひったすらやっていました。仲の良い職人さんがレベルが高かったので、弱くても協力プレイであっさり強力武器を手に入れサクサク進めていました。ガンランス最強時代ですね!笑

2ヶ月ぐらいで、ゲームを200時間プレイして、資格の勉強をして、早朝から深夜まで仕事もしてという、カオス状態。

試験1ヶ月前に焦り始めて、過去問を解きまくっていたら、奇跡の学科合格。

次は実技である製図の試験。しかし、仕事が忙しくなり、夜間作業と昼間の現場と両方掛け持ちすることになり、1ヶ月ほど昼夜連続仕事をして限界に。

2年目の夏、寝坊3連続の悲劇。

建築業界というのは常に仕事があって基本的に忙しい。効率化できようものならやっているしできないことのほうが多く、時間と作業の関係上、労働時間は過度に増えるばかり。覚悟して入ったので今まで耐えていましたが、そうもいかず体力的、精神的に潰れた。

ストレスで胃がキリキリして夜中に目が覚めて吐いたことも何度かある。そして、それ以上の限界を味わうことに。

昼間にクリニックの外壁全面改修とビルのタイル剥落調査を同時にやっているときに、結構大きめの仕事が入ってきた。それは、一般人がかなり利用する場所だったので作業は、夜間。

家に帰るのは1日1時間で、朝方お風呂に入るだけ。寝るのは現場か車の中。現場仕事と事務仕事を並行してやっていたので、気合の一言でした。

すべてを現場に出ていた訳ではないのですが、重要な日は現場に行って現地で仕切らないといけない。しかし、そういう日に僕はやってしまうのです。寝坊を。。。

昼間と夜間を同時に動かしていたので、疲れがたまり、2週間で体重が7キロ落ちたほど。点滴を打って復活するも、精神的に無理だったんでしょうね。

寝坊の1回目は、しょうがないよねみたいな空気になっていたのですが、3連続寝坊するという大失態。3回目は行くのが嫌で、もう諦めてこのまま1日爆睡してやろうかと思ったほど。

元請けさん、上司、職人さんに平謝り。当たり前ですよね。

上司から反省のために全ての現場仕事、事務仕事を止めさせられ、1週間放置される。特にやることもなく会社に行き、事務員の方と話したり、仕事関係の本を読んだり、駐車場の草むしりをしたり、そんな1週間でした。

今までやらないといけないことだらけで、バタバタしていました。忙しいのは嫌だと思っていたのですが、何もやることがないことの方が苦痛だとういうことをこの時、実感じました。時間は過ぎるのが遅く、やっとお昼ご飯か、昼から何をしよう。。。といった感じでした。

仕事は、いい意味で充実していたんだなと前向きに気づき、僕はこのままこの会社にいるべきなのかを考えるのに良い時間でした。

この仕事は、一生続けるつもりではなかったのでいつかは辞めようと思っていました。一応3年は続けようと思っていたのですが、そろそろ真剣に自分の人生を考えないといけないなとも考えていました。

1度目の辞表

ひとまずこの仕事をしていると就活をする時間は取れるはずもないので、辞めてから次の仕事を決めようと思いました。

早速僕は、上司に黙って直接社長に辞表を渡しに行きました。いつかではなく今辞めたいと思ってしまったので、社長室へ。

面接20分で僕を雇ってくださった社長は、僕の中で大好きな人。

社長といろいろ話をしたが、大人の正論で論破され、会社を辞めずに残存することに。

自分の意志が弱かった。

その後、上司を変えられ、お客さんも変わり、扱う現場などもガラッと変わり、そのまま仕事を続けることに。

自分の人生は自分で選べる

結局、仕事を続けているのですが、一つ変わったことがありました。

それは、気分が吹っ切れた、ということ。

いままで、自分の意思を押し殺して、目の前の仕事だけを追いかけて毎日を過ごしていた。

しかし、社長に辞表を出してから、「自分の人生は自分で選べる」ということに気づいたのです。

言えなかったことを言えずに我慢をするのではなく、言って好きに生きよう。

別に言って死ぬわけではないし、もし辞めても自分の人生だからどうにでもしてやる!という感じ。

自分の中に不動心ができたのです。

外の情報を取り入れる大事さ

その頃というのは、会社の世界しか知らず、世間の流行りや政治もわからず、友達付き合いすら切り離されていました。

このままだとダメだ、と思い、外の情報を毎日取り入れていろんな人と会い、仕事とは違う刺激を求めていました。

とはいえ、仕事は相変わらず忙しいので、ケータイで情報を漁る程度でしたが。。。

それから、会社を辞めるまでの1年間はあっという間だったなと感じます。

無理やり1週間仕事を休み、友達の結婚式だからと嘘をついて、アメリカに2回、メキシコ、韓国に行ったり、、、

で、いろんな縁をいただきある経営者の元で、ビジネスを学ぶことになる。

2回目の辞表を届けた時は、あっさり受け取っていただきました。

その時の上司には、いろいろ迷惑をかけたし、ワンピースの漫画全巻を今でも貸したままですが、お世話になりました。

ありがとうございます。

第5章:神戸へ

名古屋への執着がなかったので、神戸へ引越ししました。

なぜなら、そこに学ぶ環境があったから。

大学を卒業して、本当に仕事しかしてこなかったので、僕はガチの世間知らずでした。まるで生まれたての子供。

これから自分で何かやりたいと考えていたので、まずは人と会おうと思いました。

Facebookやmixiで知り合った方や、イベントに参加したり1週間で32人と対面であった時もある。

素敵な方もたくさんいましたが、何には、
・クソネットワーカー
・怪しい投資案件
・儲かりそうな話
など

いろいろ営業をされましたが、話だけ聞いて何一つ手を出しませんでした。

人と会っている中でドラマや楽しいこともあって、今でもつながっている人もたくさんいます。

  • 友達と会社を起こそうと国からお金を引っ張ろうとしたり
  • 知り合いの社長さんのお仕事をさせていただいたり
  • 自分で独学でホームページを作ってみたり
  • 営業をしてみたり
  • Facebookで女性のアカウント作って3500人まで育ててみたり
  • 近所の髪の毛を切ってもらっている奥さんと毎朝、6時から山登りしたり
  • 週7で夜3、4時まで飲んだり
  • 淡路島に週一でキャンプ行って、熱く語ったり
  • 淡路島に80人集めてBBQイベントしたり
  • 東京と名古屋、大阪神戸を行ったり来たりドライブしたり
  • 2級建築士の試験に見事、合格したり
  • その間、海外に5回くらい行ったかなー

1年半くらいでしょうか。

そんな感じで、自分探しをしていました。

こんな話をすると楽しそうだね。と言われるのですが、不安の方が大きかった。

自分には何ができるんだろう。
この先、何をやっていきたいんだろう。
僕は今、何をやっているんだろう。

ノートに思いの丈を書いたり、人に相談したり。。。

答えは、突然やってきた。

ある日、人の紹介でコピーライティングの話を聞きました。

その時の僕は、自分にはスキルが必要がとも考えていたので、タイミングが良かったです。

そのコピーライティングを教えてくれる方が東京にいるということで、神戸を離れることに。

第6章:上京

東京に来てからというもの、毎日勉強した。

個人的にずっと張り付いて、そばでパソコンを開いて、ブログを書いたり、ライティングを見てもらったり、付きっ切りでレクチャーしていただいた。

会社を辞めて1年半。バイトもろくにしていなかったので、当然貯金が尽きそう。

けど、人間何とかなるものだ。

ブログから一定の売上が上がる。

今思えば、そのスキルをそのままもっと極めれば良かったと思いつつ、別のことをやり始める。

友達の会社

ブログを何個か運営して、収益を出していた。

大学の頃の友達の友達が、東京で会社を作ることになり、手伝うことに。

異業種交流会やパーティーなどのイベント業と、営業代行の会社。

僕は、営業マンではないので、Webからの集客を任された。

異業種交流会は、口コミとWebから集客した。

当時は検索でも上位に上がっていて、最大120人の名刺交換会を開催した。

パーティーイベントは、クラブを貸し切って、クリスマス、ハロウィン、バレンタイン、BBQ、パブリックビューインなど数百人規模で毎月開催した。

テレビ取材も入ったこともあり、それなりに大きい団体になったと思う。

これは、僕が凄いんじゃなく、いろんな方の力あっての経歴です。

カフェ会

僕は、集客できても大人数でパーティーや交流をするのは、苦手でした。雰囲気は好きなんだけどね。。。

なので、朝も弱かったし、小さく朝活のようなものを始めてみた。

しかも、朝7時からという攻めの姿勢。

集まるのか不明でしたが、やってみると思っていたよりも集まってカタチになってしまった。

定期的に開催していると、ファンが増えて、朝の弱い僕が寝坊をしても、参加者が勝手に集まって主催抜きで会が成り立っていた、何てこともしばしば。

多い時は、朝に20人くらい集まって、席替えしたりして全員が話せるように工夫して開催した。

カフェ会は、主催者によって会の雰囲気が変わる面白い場。

僕の適当かつ聞き手の精神が、参加者の居心地良さを感じさせたんだと勝手に分析している。

開催していると、「私もカフェ会したいです!」という声がチラホラ出てきました。

で、その人たちにカフェ会の開催の仕方を教えて、集客をしていると、気づけば幹事20人以上のカフェ会団体になってしまった。

都内のどこに行っても毎日、誰かが開催しているという状態。

大した収益とか出していなかったので、よくやったなーと、今では思う。

その間、お会いした方々、累計3000人

第7章:Webマーケティグ

僕は、コピーライティングを学んでから、すごくマーケティングに興味を持つようになりました。

世の中にある良いモノを自分の力でマーケティングして、たくさんの人に広げたい。

その気持ちは、東京に来て変わりませんでした。

実家が農家なので、地方創生などにも興味あるし、福祉、教育、テクノロジー、日本芸能などなど

さまざまな情報を取り入れ、たくさんの方とお話をして、具体的に活動しています。

HP制作・企画、ディレクション、サポートをしています。

そして、会社員を辞めて5年。長いようで早い。

いままで、ライティングとWebマーケティングをスモールビジネスを対象に教えてきました。

教えた数、もうわかりません。

フリーランスで独立された方、コラムニストになった方、海外放浪している方、不労収入でニートになってしまった方、ECサイトの売上が数百万になった方。

中には、有名な方もいます。

これからの時代、一つの収入に捉われず、パラレルに複収入を得て当たり前。

自分のやりたいこと、好きな場所で楽しむことが人生を充実させるポイントだ。

そのような教育の場、コミュニティーを作ろうと「大人の楽屋」をスタート。

今後は、

今後は、今やっている活動を続けながら、働き方、マーケティング、ライティングを中心に発信して、ネット上だけではなく、リアルでも深く関わり合い、自分にできることは挑戦して、やりたいことを貪欲に活動していこうと思う。

こんな僕ですが、今後ともよろしくお願いします。

メッセージしていただけたら、必ず返信します。

相談や仕事の依頼など来るもの拒みません。

長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございます。

福川に絡んでみる!

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